ともに生きる

日々の気づき


能登半島地震から約3週間。輪島市内を車で回られたジャーナリストさんの動画を観ました。

テレビの報道だけでは、なかなか伝わってこない大変な状況を目にして、本当に胸が詰まって、言葉が出ませんでした。。。

1階部分がぺちゃんこに潰れた家屋の多い通り、道路から1メートル以上も隆起したマンホール、電柱が傾き、電線が垂れ下がった危険な状態の道路、そして、焼け野原になってしまった朝市通りの周辺。。。(>_<)

きっと、そこでたくさんの人が亡くなられたんだろうな、と。安らかに移行されますようにと、お祈りしました。


その中でも、ホッとさせてもらえたのは、炊き出しや子どもの支援などを含むNPO法人が30以上も現地入りして支援にあたっている、というニュース。

また、カーシェアリングの団体が無償で車両の貸し出しを行っていたり、オイシックス傘下の移動スーパー「とくし丸」が生鮮食料品などの食材を無償で配って回っていたり、やっぱりこの世界は愛で溢れているですよね。。。

それから、半島の先端部の奥能登エリアでは、最後まで孤立されていた世帯に支援物資が行き届いたそうで、ご自身も被災者なのに尽力されている役所の方々、道路の復旧に携わっている方々、そして早くから現地入りされているNPOの方々、全国各地から応援に入られている自衛隊や消防、警察、医療関係の方々には本当に頭が下がります。

自分には、祈ったりエネルギーを送ったり、義援金を送ることぐらいしか出来ないのですが、引き続き出来ることをしていきたいと思っています。



私も阪神淡路大震災を経験して、自分が立っている足元がグラッと揺れて、今まで当たり前に歩いていた場所が崩れていくって、ものすごい恐怖だったなって、今でも肌感覚で思い出します。

私の実家は、神戸でも郊外だったので、幸いにも自分も家族も親戚もお友達も知り合いも、誰一人亡くなることなく、ケガもなく済んだのですが、それでもいまだにあの震災の映像は涙なしには見れないんですよね。。。


災害が起こる度に、人間って無力だなって、つくづく思います。


けれど、そんな無力感もあるんだけれど、その度に思い出されるのは、アメリカのモニュメント・バレーに立った時の感覚なんです。

360度見渡す限りの赤茶けた大地に立ち、空と雲と太陽と風と。。。その圧倒的な静寂の中で、自分もその一部なんだなって、感じられて。

いつも「帰りたい」と思ってしまう、私の魂の原風景。



大地は何万年も前から、ただそこにあって、私たち人間のドラマを見守ってくれているんだなと。そして、私たちはその大地にしっかりと支えられているんだなと。

大地は動いていて、私たちを揺らすこともあるし、火山の噴火や津波やいろんな災害はあるけれど、でも、私たちだって、その自然の一部なんだなと。

この感覚は、普段アスファルトの上で生活をしていると、なかなか実感がしにくいのですが、今でも私の中でしっかりと根付いてくれています。


アメリカ先住民のコミュニティに参加したとき、彼らが7世代先のことを考えて行動すると知りました。

そして、母なる大地と父なる天に繋がって行う儀式は、飲まず食わずだったり肉体的にとてもハードなのですが、自分の身体を捧げて”all my relations”(自分に繋がる全ての人達)の為に祈る彼らの姿は、やはり自然に対して畏怖の念を持って生きているんだなと。

居留地に追いやられて、厳しい環境の中で生きてきたからこそ、お互いに支え合い、助け合って生きる先住民の人達。

彼らから、”ともに生きる”、”支え合って生きる”とは、どういうことか、肌感覚で学ばせてもらった気がします。

この地震から完全に復興するには、きっと何年もかかることでしょう。阪神淡路大震災でもそうでしたが、おそらく元通りの生活に早く戻れる人もいれば、なかなか思うようにいかない人もいて、格差も生まれてくるんじゃないかなと思います。


でもでも、本当に。。。一人も取り残されていかないような支援を、皆で継続してやっていければいいですね。