私が、ご存命中にお会いすることが出来て、そのエネルギーに直接触れさせて頂くことが出来て、心底ありがたかったなあ。。。と思える方は、ヒーリングやオステオパシーの師匠を始め、もちろんたくさんいらっしゃるのですが、
特に宇宙の意志にご自身の生き方を沿わせていらっしゃるなと、つまり、自我を超えた存在として強烈な印象を残してくださった方は、サイババやダライ・ラマ法王、アーノルド・ミンデル博士、そして比叡山の酒井雄哉大阿闍梨だったなと思います。
その大阿闍梨の貴重な映像が見られる番組「行~比叡山 千日回峰~」が、2月2日(金)16時5分~、NHKで〔2月5日(月)0時45分~Eテレでも〕放送されます。
信徒の皆さんから「阿闍梨さん」と親しまれていた、大阿闍梨が亡くなられてから早や10年経つんだなあ。。。と思うと、とても感慨深いです。
阿闍梨さんは、1日40キロの山あり谷ありの巡拝路を、日々お寺の仕事をこなしながら1000日も歩いて巡礼する、雨の日も雪の日も、病気でも休むことは許されず、休むときは自死が定められている大変厳しい千日回峰行を2回も達成された、異次元にすごい方でした。
けれど、私がお会いしたのは80代に入られていたのもあると思うのですが、いつも柔和な笑顔でお茶を入れてくださったのを思い出します。
特に、「母ががんで余命が1年で・・・」とお伝えした時の、何とも言えない慈愛のお顔で見つめてくださったのが、今でも鮮明に思い出されます。「大変だね」とか「きっと、ご加護があるよ」とか、そんな言葉は一切なく、言葉を超えた深くて温かいエネルギーで私を包み込んでくださって、やはり生き仏様だなあ。。。と、しみじみ感動したのが忘れられません。
けれども、護摩行でのお姿は、さながら不動明王が乗り移ったようで、名前と祈願を1枚1枚読み上げながら何万枚もの護摩木を炎に入れていらしたお姿は、すべての業を焼き尽くすような、とても厳しく崇高なお姿でした。そして、そんな阿闍梨さんを支えるように、周りのお弟子さん達が太鼓を叩き、私たち参列者も不動明王の真言を一心不乱に唱えて、それがお堂の中で響き渡り、全員がある種の変性意識状態入っていたような感じだったのを思い出します。
私が護摩焚きに通わせて頂いていたのは、亡くなられるまでのほんの3~4年でしたが、強く印象に残っているのは2011年の大みそかの夜に行われた護摩炊きのこと。
終わってからの講話で、阿闍梨さんが「護摩木があり得ない崩れ方をした。今年は大変な年になるかもしれない」とおっしゃって、「護摩木の崩れ方で分かるって、そんなもんなのかな」と思っていたら、3月に起きたのが東日本大震災でした。。。
この番組では、千日回峰行の合間に9日間も断食・断水をしながら、眠ることも横になることさえも許されずに、ひたすらお経を唱え続ける”堂入り”の行の様子が収録されているそうで、それに挑まれた年齢が、なんと52歳なのだそう。
意識がもうろうとしながらも、「線香の灰が砕ける様子がスローモーションのように見える」「砕け落ちる音が聞こえる」などと感覚が研ぎ澄まされていく、と阿闍梨さんの評伝「生き仏になった落ちこぼれ」で読みましたが、その阿闍梨さんが堂入りをされている貴重なお姿が見られて、何を語られるのか、私も楽しみです。
そして、阿闍梨さんがご存命の頃は、悟りと言えばダライ・ラマ法王や阿闍梨さんのように、厳しい修行の末に行き着く境地だと思い込んでいたのが、非二元のティーチャーの本や動画で身近なものになり、更に自分にも一瞥体験が突然起こったりと、何も特別なことをしなくても、誰にでも起こりえるんだなと思えるようになってから、改めて修行というものがどんな風に見えるのか、それも個人的に興味深いところがあります。
ご興味を持たれた方は、ぜひご覧くださいね(*^^*)