この瞬間、瞬間がプロセス

意識について


ここ数日暖かい日が続いていて、段々と春が近づいてきているのを感じますね(*^^*)

近所の公園では、綺麗な梅の花が咲いていました♪

私たちは自然界の秩序に動かされている

1年を通して木々の変化を見ていると、季節が巡り巡っているのを実感します。


その、季節を巡らせているのが自然の秩序であり、その秩序によって私たちの身体もオーガナイズされているんですよね。。。


だから、指を包丁で切っても数分後には血が止まってるし、骨折しても数か月後には元通りになるし、がん細胞が出来ても突然消えたりするんですよね。

エネルギーボディワークの施術でいつも感じることなんですが、自然の秩序を感じ取って、それに従って動かされていくと、身体は必ずバランスを取る方向に、治る方向へと向かうんです(*^^*)



さらに、私たちの人生を動かしているのも自然の秩序と言えるかもしれませんね。「見えざる手」だとか「大いなる力」だとか「魂の導き」だとかいろんな表現がありますが、すべて同じ意味だと私は思っています。

この瞬間は、大きな流れの1つのプロセス

それで、その自然の秩序がオーガナイズする大きな流れから見れば、この瞬間、瞬間がすべてプロセス(過程)に過ぎないんですよね。


「何かを達成した!(≧▽≦)」と思っても、大きな流れの1つのプロセスに過ぎないし、「めっちゃ失敗した!(>_<)」と感じた瞬間があっても、それもまた、1つのプロセスでしかなくて。



私が非二元(悟り)の本の中で一番好きな、エックハルト・トールの「ニューアース」に、こんなエピソードがありました。


くじ引きで高級車が当たったある賢者のお話。

親戚が「きみは本当に幸運だ」とお祝いしてくれているのに、微笑みながら「そうかもしれない」。

運転を楽しんでいたある日、交差点で酔っ払い運転の車にぶつけられて重傷を負い、病院に担ぎ込まれて「とんでもない不運だったね」と同情されても、またも微笑みながら「そうかもしれない」。

入院中のある晩、地滑りが起きて自宅が海に流されてしまい、「入院中で、運がよかったね」と周りに言われても、またもや微笑んで「そうかもしれない」と。

何があっても、ずーっと態度が変わらない(^^)


何があっても、良い/悪い、運がいい/悪いの判断をしない。


判断する代わりに事実を受け入れ、高い秩序に委ねる。。。そんな生き方は、私もまだ出来ないですね。やっぱり、プレゼントを頂いたり、欲しかった洋服が安く手に入ったら大喜びするし、お友達と美味しいランチを頂きながら楽しくお喋りしてると”生きててよかったなあ。。。”なんて思いますし。


でも、何か起きて欲しくないことが起こったときに、それがアンラッキーだとか、これを引き寄せた自分が何か間違ってる。。。みたいな判断を保留にして、

それはあくまでも流れの中の1つのプロセスであって、この先どう流れていくかを見てみないと本当には分からない。。。というスタンスでいられると、きっと楽ですよね(*^^*)



そして実際、後で振り返ってみると、実はアンラッキーでも自分のせいで起きたことでもなかった、ただ必要な経験だった。。。なんて、思えたりするから不思議。


皆さんもあるかもですよね。”あの時に勤めていた会社が潰れたから、今の会社に入れた”とか、”あの人と別れたから、運命が変わるような出逢いがあった。。。”みたいな、何か見えない手に導かれて方向転換させられたような経験が。


そう思うと、自分で「○年後にこうなっていたいから、この一年は△△を頑張る」みたいに目標を決めて頑張ったり、「▲▲が手に入るように運を引き寄せる」のもいいかもしれませんが、

大きな秩序に任せて、自分に起きてくる出来事の良い/悪いを判断せずに、この瞬間、瞬間を思考じゃなく魂の(ハートの)喜ぶ方向に動いていくのがいいような気がします(^-^)

解釈はせずに、ありのままを見ると

エックハルト・トールは、「抵抗しない、判断しない、執着しない」生き方を勧めていますが、

それは嫌なことをされてもされるがままになることでもなく、何かハッピーな出来事があっても喜んではいけない、ということでもなく、「すべての状況は変化し、すべての形(良いものも悪いものも)一時的でしかないと気づきなさい」ということなんですよね。



”抵抗しない”は、私は最初は「無抵抗でやられてしまう」イメージがあって、なかなか受け入れられなかったんですが、そこが本当に腑に落ちた時、ものすごーくホッとするような、平和な感覚があったんです。


そして、その平和な感覚から改めて出来事を見た時に、現実に抵抗したり判断したりするよりも力が湧いてくる感覚があったんですよね。



例えば、ずっと計画していたことがポシャった時、それに抵抗して無理に押し進めようとしたり、”何がいけなかったのか”、”自分の能力不足だったのかな”、”でも、あの人がもっと協力してくれていたら。。。”などと思考で解釈しようとすると、そこに膨大なエネルギーが取られてしまうんですよね。

思考はものすごくエネルギーを消費してしまうので。


でも、その出来事をありのままに受け入れてみると、”今は時期じゃなかったから、また流れがくるまで待とう”と思えたり、

もしかしたら他の良い選択肢が見えてくるかもしれないし、何より思考にエネルギーが取られない分、自分の中から直観に従って次に向かう力が湧いてくるような感じがしたんです。



もちろん、災害や病気・事故や離婚、リストラなど、人生に衝撃が走るような大きな出来事が起こったら、そんな簡単に受け入れるのは難しいかもしれません。


でも、日常的に思考の解釈を出来るだけ減らしていって、ありのままに物事を見る時間を増やしていく。

その積み重ねが、何かショックな出来事があっても”これも一つのプロセス”だと自然に思えるようになっていたり、高い秩序に調和した生き方になっていくんじゃないかなあ。。。と思うんです。