最近、化粧品の整理をしていて、古いアイシャドウを見つけました。
どうみても、イエベ(イエローベース)の私には似合わない寒色系の色(^^;)
何で、こんな色を買っちゃったんだろう。。。? 思い起こせば、自分がイエベだと知らない時だったんですね。
自分の肌の色を知らなかったばっかりに、何となく選んでしまったという、よくありがちな失敗( ;∀;)
で、その時に気づいたんです。
私たちって、洋服や化粧品だけでなく、”自分の色”をちゃんと知らないせいで、合わない仕事や勉強に悪戦苦闘してしまっていないかしらと。
私の元夫は、何でもできる人でした。頭が良くて、決断力があって実行力があって、何でも要領よくこなせて友達も多い、とにかくすごい人。
私は彼に比べて要領も悪いし、何にも出来ないし、誰とでも仲良く出来るわけではないしと、いつも彼と比べて自己卑下に陥ってしまっていました(^^;)
そんな中、ある本に書いてあった言葉が「ユリはユリのままでハッピーで、薔薇になろうとも思っていない」(多分、こんな文脈だったと思います)。
それを読んで、「あそっか」と、何だか腑に落ちる感覚があったんですね。ちょっとホッとしたというか。
それでも、その後彼と比べることが無くなったかと言うと、そんなにすんなりとは行きませんでした。
けれど、ある時、心理セラピストさんに言われた言葉が「人間が種として生き残るには、いろんな個体が必要で、何か行動を起こす時に一番先頭を行く人も必要だし、恐る恐る付いて行く人も必要なんです。臆病な人がいないと、先頭の人がやられた時に生き残れなくなってしまいます」。
その話にはすごく納得でした。自分はこれでいいんだと、少しずつ少しずつ、”自分の色”を認める気持ちが浸透していったように思います。
そして、自分の今生での役割や魂の課題が明確になるにつれて、ますます「みんな、それぞれの色でいい。そのままで素晴らしい」と思えるようになりました(≧▽≦)
私の今の感覚はと言うと、私たち一人ひとりが砂浜の中の砂粒のようなもので、それぞれが砂浜の中で大事な役割を担っているし、それぞれが個性を発揮して存在している。
そして、波が来たら必要な場所に運ばれて、そこでまた必要な事をすればいいのかなと。
そうして、誰と比べなくても「自分も素晴らしいし、皆も素晴らしい」と心から思える人が増えていったら・・・きっと争いごとも減っていって、もっともっと誰もが生きやすい世の中になりますよね(≧▽≦)
私も、まだまだエゴが強くて、誰かと比べて落ち込んだりすることもありますが、
きっと近い将来、たくさんの人の意識が”砂粒(エゴ)”から”砂浜(大いなる全体の意識、ワンネス)”へとシフトしていくんじゃないかなあ。。。と。そしていつか、地上が天国へと変わって行くんじゃないかしら。何だか、そんな気がしています。