やはり地球交響曲は心に響きました

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「地球交響曲第九番」を観てきました。


いやあ。。。やはり、すごい映画でした。


最後は、小林研一郎さん(コバケンさん)の圧巻の第九で締めくくられ、圧倒されて涙腺が崩壊してました。

いえ、オープニング映像で晩年の龍村仁監督のお顔が映し出された時から、もう既に泣いてたんですけどね(^^;) もう、これで「地球交響曲」も完結なんだなと思うと、寂しさと同時に監督への感謝の気持ちでいっぱいになりました。


オープニングで流れた第一番からの振り返り映像を観ながら、それがそのまま自分の20代の記憶とオーバーラップしたのもあります。


20代は物質的な生活にどっぷり浸ってまして、「スピリチュアル?何それ?怪しい~!」だった私なのですが、この「地球交響曲」はそんな私の心にもスーッと入ってきてくれたんですよね。



今、改めて「地球交響曲」シリーズを振り返ってみた時に、こんなスピリチュアルな映画はないなと思うんです。


”霊性”とか”魂”とか”目に見えない次元がある”とか、スピリチュアル的な内容がサラッと出演者から語られていたり、”地球それ自体が一つの生命体である”っていうコンセプトが既にスピリチュアル。


でも、なぜか普通の人でも納得できちゃうんですよね。何番だったか忘れましたが、「スピリチュアルは宗教なの?」と疑っていた母も連れて行けたぐらいなので(^^)



そして、こんなエンターティンメント性があるわけでもない、出演者が自分の体験や発見について語るだけのオムニバス映画が、なんと20年も続いたこと。そして、第九番まで完成し、全国で途切れることなく自主上映会が開催されてきたことの根底には、

やはりそうしたスピリチュアルとは無縁の人たちでも、心のどこかで感じている人間の本質の美しさとか、人生の神々しさに触れたい欲求があるんじゃないかな、と思いました。


日常の中で嫌な事や辛くて悲しい事があったとしても、人間の根源にあるものはやっぱり美しいもので、私たちは何か大きな力で生かされているんだと、どこか深い所では分かっているというか。


この機会に、今までのパンフレットを読み返していたのですが、

亡くなられた京セラ会長の稲森和夫さんが「すべてが存在というもので出来上がっていて、それがたまたま一つの生を持ってこの地球上に生まれてきた。そのなかで壮大な人生と言う劇を演じている。私の場合は、たまたま稲森和夫という役を仰せつかっただけなんです」とおっしゃっていて、

その当時の私は意味がよく分かっていなかったのですが、今なら分かる気がします。

一つの大きな意識から個人が”一つの現れ”としてそれぞれの人生を演じながら生きているけれど、深い所では繋がり合っていて、一人一人は劇の主人公であると同時に脚本家であり、監督である大きな意識なんだと。


それを、大企業の会長さんが深く理解されていたのが今となっては驚きですが、きっとごく普通に見える人でも、深い所ではそんな感覚を持っていたりするのかもですね。



さて、第九番の内容ですが、出演者は指揮者の小林研一郎(コバケン)さん、認知考古学者のスティーブン・ミズン博士、ノーベル医学・生理学賞を受賞された本庶佑博士の3人です。


ミズン博士が語ってくださったのは、ネアンデルタール人について。

ネアンデルタール人は、ホモサピエンスと同じくらい大きな脳を持ちながら言葉を持たなかったんだそう。

それでも10万年も存続出来たのは、言語以外の歌声でコミュニケーションを取り合っていたのではないか?という仮説が印象に残りました。


つまり、お互いに音を響かせ合って、より感性というのか右脳を使ったコミュニケーションを取っていたということですよね。我々ホモサピエンスと比べて。


そして、そんなネアンデルタール人のDNAを少し多く受け継いでいるのが縄文人だそうで、私たち日本人もそんな風に音を通じてお互いを感じ合うDNAを受け継いでいるのかもですね。


本庶博士は「病気は身体が治すもの。外科手術で治ったとしても、身体の治癒力が大きく関与している」という趣旨のお話をされていて、やはり学者の方の見解もそうかと。 


法然院のご住職の「ロビンソンクルーソーの様に、一人で無人島にいると悩みは生まれない。やはり人との関わりの中で、人と比べることから苦しみが生まれる」との言葉にも大きく納得でした。


本庶博士や法然院のご住職のお話も、他の「地球交響曲」シリーズの出演者の方々のお話も、普遍的に語られている、どこかで読んだり耳にしたことのある話だな、と思うこともたくさんあるんです。

でも、”どのエネルギーで語られるか“が大切なんですよね。 語る人が、その言葉をちゃんと生きているか。 そこにエネルギー的な説得力が加わって、人の心に影響を及ぼしていくんですね。

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そして、やはり圧巻だったのは、コバケンさんのベートーヴェンの魂が乗り移ったかのような第九の指揮。

アマチュアの合唱団に対して「下手なんだよ!」「これが出来ないんだったら、また来年戻ってきて」と指導風景で見せる、妥協なく理想を求める厳しいお顔と、この曲の素晴らしさを熱く語り、神様と繋がっているような恍惚の表情で指揮棒を振るお姿に、グイグイ引き込まれていきました。


それほどまでにもベートーヴェンの意図をくみ取ろうとし、神の世界をこの曲に体現させようとするお姿は、コバケンさんの魂の表現なんだなと思いました。


本庶先生やミズン博士のエピソードも含めて、やはりこれは、龍村監督が人生の最後に響かせたかった生命賛歌なんだなと、地球上のすべての生命を肯定するメッセージが込められているように、個人的には感じました。

コロナ禍や戦争で分断がクローズアップされてしまっている今、「地球交響曲」は皆それぞれの音を鳴らすオーケストラの一員なんだと呼び覚ましてくれる映画だと思います。


一人一人が違っていて当たり前だし、それぞれが違う音を響かせ合って一つのハーモニーを奏でていることを、私も今一度心に刻みたいと思いました。

第九番を含めた上映スケジュールは、こちらから。関西では、2月18日(土)に京都・法然院で第九番が上映されるようですね。ぜひ、多くの人に観ていただきたいです。