滋賀県立美術館で開催中の展覧会、「川内倫子:M/E 球体の上 無限の連なり」に出かけてきました。
何気ない日常が切り取られているんだけど、何だか非日常へと入っていく感じの写真たち(*^^*)
非日常を感じると同時に、何だか懐かしい感じ。きっと、子どもの頃は、こんな風に光を感じていたんじゃないかなって思い出すような。
「あれ、これ何だろう?」って思うような写真も多いのですが、タイトルは「無題」。何も教えてもらえないのです(^^;)
それで思い出されたのが、ある非二元(悟り)のティーチャーが言った言葉で「子どもに”あれは鳥だよ”と教えてしまうと、もうその子は鳥をちゃんと見なくなる」。
どういうことかと言うと、私たちは言葉で定義付けることで物事を理解しようとするんですね。
でも、ラベルのように言葉を貼り付けた途端に、その対象物を見た時の不思議さとか、躍動感が伝わってくる感じとか、自分とは明らかに違う種類のものが存在することへの驚きとか感動とか、そうした心の働きが起こらなくなってしまう。
つまり、対象物をありのままに見なくなってしまうんですよね。
言葉は本当に限定的で、自分が五感で感じとったものの10分の1も表せていないんです。
もちろん、誰かとコミュニケーションを取る時はすごく便利なツールだし、私たちホモ・サピエンスは言葉を開発できたからこそ生き残ってこれた訳ですが。
川内さんの写真を見た時に、成長するに従って身に着けてしまった「あ、これは水だな」とか、「これは雲かな?」みたいな思考から物事を見る癖を一旦置いておいて、子どもの頃の純粋な視点から眺めてみる、見たものから伝わる感覚を感じ取るようにすると、彼女が伝えようとしたことがダイレクトに伝わってくるような感じがしました。
川内さんの写真の世界は展覧会のHPや川内さんの公式サイトからでも入っていけるのですが、やはり展覧会は場が違いますよね。
展示方法も趣向が凝らされていて、例えばこんな感じ。
薄い布で仕切られていて、別世界に入っていくような展示空間。
会場内で上映されていた映像も独特でした。
吹雪や虫や動物などの自然の風景や、調理場や工事現場などの日常的な人の営みなどが断片的に何のBGMもナレーションも無くつなぎ合わされていて、それが延々と流れているんです。
なぜか、それがずっと見ていたくなっちゃうんですよね。。。きっと、この風景を知ってる、撮られたのと同じ場所に行ったわけじゃなくても、何か懐かしさがある。。。
自分の記憶をたどっていくような、そんな感じ。私が川内さんと同年代だからかもしれないですけど、日本人の原風景かもしれないなあ。。。なんて思いました。
もしかすると、平成世代の方が見たら、また違って見えるかもしれないですけれど(^^)
滋賀県立美術館にて、3月26日(日)までの開催です。
美術館周辺は、池があったり緑豊かな場所でゆったり過ごせます(*^^*) ぜひ、お天気の良い日におでかけくださいね。