今夜は、今年最後の満月。その名も「コールドムーン」だそうですね(*^^*)
大好きなお友達で透視ヒーラーの小林ニコさんから、満月のメッセージが届きました♪
彼女の透視はお客様のハイアーセルフに繋がって、必要なメッセージを伝えてくださるものですが、私も自分の今後の流れを見る時に、すごく参考にさせて頂いています♬
今年は、いろいろな大きなことが明らかになりました。それは今後も続くでしょう。個人としては、この先、ご自身が”本当の自由とは何か”に気づき、その軽やかな自由へシフトしていくように見えます。心のあり方が、あなたの世界を決めます。年末はゆっくりしてくださいね
”本当の自由とは何か”って、深いですね。。。人によって、その”本当の自由”の捉え方は様々でしょうし、自分が何を求めているのかを知るヒントにもなりそうですね。
住む場所の自由もあるでしょうし、働く場所の自由もあるでしょうし、移動の自由とか行動の自由とか、心の自由もありますよね。
アイデンティティを手放してみたら。。。
それで思い出したのが、ある朝のこと。
ふと、自分が握りしめてる、いろんなアイデンティティを手放していこうと思い立ちました。
まず出てきたのが、「人を導く役割の自分」。これは、いらないなと。
次いで、「人に教える役割の自分」。これも、いらない。
そして、「人の話を聴く役割の自分」。「人を癒すヒーラーとしての自分」。「人の役に立つ自分」。次々出てきますが、ここまでは、まあ順調でした(^-^)
これは、実際に体感でも変化を感じられて、手放す度に身体が少しずつ緩んでいくんです。何だかホッとする感じというか、背負っていた荷物を降ろしていく感じというか。
根深いビリーフに向き合う
そうやって、次々に手放した結果、最後に直面したのが「人の期待に応えられる私」(^^;) 身体が固ーくなって、怖れが出てきて、手放すことにものすごい抵抗がありました。
「もう、誰の期待にも応えなくていいんだよね」って、言葉にした瞬間に涙がツーっと出てくるぐらいに。
これね、かなり根深いビリーフ(思い込み)があって、私は子どもの頃、親の期待を一身に背負って頑張ってたんですよね。小学校、中学校で良い成績を取って、良い高校、良い大学に行って、その後は一流企業に入ってキャリア女性に。。。みたいな親が敷いたレールに乗るようにって。その過程で”期待に応えられないと愛されない”という自分に対してのビリーフ(思い込み)が出来上がっていったんでしょうね。
結局、高校は進学校に合格したものの、2年で不登校に。そして通信制に転入して、アルバイトで得たお金で夜遊びに励んで、ヤンキーと付き合って。。。って、後は親の嫌がることをひらすらやりまくったのですが、どこかで”親の期待に応えられない罪悪感”は持ち続けていたんですよね。親の嫌がることをやるのも、「こんな自分でも愛してよ!」という心の中の悲痛な叫びだったでしょうし、罪悪感の裏返しでもあったかも。
それで、その”期待に応えられないと愛されない”みたいなビリーフって、最初は親限定だったかもしれないけれど、成長していくうちに、どんどん他者、特に自分が親に対するように権威を感じる誰かに投影されていっちゃうんです。
就職したら上司とか、結婚したら旦那とか。
そのビリーフに気づいてからは、何度もセルフワークして手放したはずなんですが、子どもの頃に出来上がって何十年も持ち続けているものって、なかなかしぶといんですよね(^^;)
そうやって、まだあるんだなあ。。。って、ウルウルしながら、踏みとどまって手放しを行うと、すごーい光が私の中に入ってきたんです。
そして、最後に大物が
さて、一番根強いものも手放したし、これで終わりかな?って、思ったものの、何だか完了した感じがなく、まだまだ続きがある感じ。
なんだろう?と、更に探求してみると、ありました。最後に、最強の大物が。
それは、「全部手放して、何者でもない自分になる」プロセス。
あれれ?「ヒーラーの自分」とか、「人を導く自分」とか、いろんなアイデンティティはサクサクと手放せたはずなのに、何で「何者でもない自分」になるのが、こんなに怖いんだろう?
こわごわ探求してみると、やっぱり、いろんなアイデンティを手放したとしても、結局、”何者か”でいたいんですよね。。。”何者か”でないと、この世界ではサバイバル出来ないんだっていう根深いビリーフが一番深いところにあって(^^;)
それでも、たっぷり時間をかけて、その怖れを感じながら、逃げずに留まり続けた結果。。。
ものすごーい広々とした自由が広がっていったんです(≧▽≦)
これが、究極の自由かもって思えるぐらいの、何者でもない、何からも解放された自分。
いや、自分という感覚さえも既になく、ただの広がりでありスペースであり、ただの光であり、大きな意識であり。。。みたいな。ただ安らかで平和で、漂っているような感覚。
究極の手放しを行った先には
もちろん、目を開けて起き上がってみたら、三次元的な目に見える現実は何にも変わらなかったです。
普通に部屋があって、家具があって、服を着替えて顔を洗って、朝食の準備をして、みたいな、普段の日常は変わらずで。
でも、あの後、自分の中で確実に変わったのは、誰かに認められるために頑張る努力をしなくなったこと。そして、役割から自由になれたこと。
それまでの私は、「誰かの役に立つ自分」にしがみ付いていて、疲れているのにお友達の長話に延々と付き合ったり、オステオパシーのセミナーでは頼まれもしないのに後輩たちの指導に回ったり、「ヒーラーなんだから」と高下駄を履いて、”人より宇宙の真理が分かっている私”になってセッションや講座を頑張る、みたいな。
そうした無駄な努力の一切合切を手放した結果、嬉しいセッションのご感想を頂きました(≧▽≦)
上条さんと話をしていると、子どもの自分をそのまま出しても大丈夫という絶対的な安心感があります。それは上条さんに同じものを見出しているし、それを隠そうともされないから、こちらも安心するというか、そんな感じです。
このお言葉、めちゃくちゃ嬉しかったんです(*^^*)
だって、高下駄を履いていない、ヒーラーの役割をやっていない素の自分で喜んで頂けたわけですもんね。。。今までは、高次元と繋がりながらクライアント様をしっかりと受け止め、お話を真剣に伺いながら、今この方の魂がどこに向かわれているのかを一緒に見ていくのが、私のあるべきヒーラー像だったのですが、その日のセッションは、まるで真逆だったので(^^;)
M様、想定外の嬉しいご感想、本当にありがとうございました(*^^*)
もちろん、深刻なお悩みを持ってこられた方には、子どもの部分よりも大人の顔が出てきます(^^)
役割から自由になった分、その場に必要な顔が引き出されて行くような感じ。行動が役割から行われるんじゃなく、”場”に動かされるような感覚が出てきました。
というわけで、満月といえば、手放しに良い日だそうです。
究極の手放し、やってみようと思われた方は、ぜひとも試してみてくださいね。