世界平和は、自分の心の平和から

日々の気づき


毎日、本当に暑いですね~ 皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

またまたブログの更新が滞ってしまいましたが、”自分に甘く、他人にも甘く”がモットーの私。「暑すぎて書く気になれなかったんだよね~」と、自分を慰めています(^^;)


さて、今年は終戦77年ということで、いつになくテレビで太平洋戦争に関する特集が組まれているような気がします。

先月になりますが、日帰りで広島に行ってきました。


大阪で暮らしていると、日常の中で太平洋戦争を意識することなんて、ほとんどありません。


でも、広島に行くとあの日を忘れないために、県や広島市、地元企業が案内所や様々な企画を通して持続的に発信し続けているんだなあ。。。と、しみじみ感じます。

平和記念資料館は見るのも辛過ぎるのですが、戦争の悲惨さを忘れさせない重要な役割を担っていると思いますし、それこそ原爆ドームは核兵器の威力の凄まじさを物語っていますしね。


ここ最近よく聞かれる、ロシアによる核兵器使用の可能性があるかどうかの専門家の解説。ともすればリアル感を持たずに聞いてしまいがちですが、今の核兵器はどんなに小型なものでも原爆の1000倍以上もの威力があるとのことで、それが使われてしまえばどんな地獄絵図になるか、広島を見れば想像ができますよね(T_T)



先日広島で行われた平和記念式典では、子ども代表のお二人からこんなスピーチがありました。

「自分が優位に立ち、自分の考えを押し通すこと、それは、強さとは言えません。 本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること、思いやりの心をもち、相手を理解しようとすることです。 本当の強さをもてば、戦争は起こらないはずです。<中略> 今度は私たちの番です。 被爆者の声を聞き、思いを想像すること。 その思いをたくさんの人に伝えること。 そして、自分も周りの人も大切にし、互いに助け合うこと。」


本当に、本当に。。。その通りだな、と思いました。

他のどの要人のスピーチよりも、このお二人のスピーチの方が、よほど心に響きました。


自分が相手よりも優位に立ちたい、自分の考えを押し通したい・・・そこから既に他者との争いは始まっているんですよね。


そして、これは私の体験でもありますが、「世界が平和でありますように」と願うよりも「自分の心が平和でありますように」と願う方が、よほど難しいんです。


”世界平和”という言葉はどこか他人事というか、「アメリカが・・・」とか「ロシアが・・・」みたいに、どこか自分とは関係ない話みたいにに感じられてしまう。でも、”自分の心の平和”と言った時には、そこには自分に責任があるんですよね。


これも私自身の体験なのですが、自分の中に何か怒りや苛立ちがくすぶっている時は、全く関係ない他人とか見えている世界にその矛先が向かいやすいんです。


例えば、職場などで何かイラっとする出来事があった帰りの満員電車で、ドカッと足を開いて二人分の席を占領しているような男性を見かけてしまうと、「何なの?あの人!」みたいに更に燃料が注入されてしまったりして(^^;) そうなると、その車両の中で他にもイラっとさせられる(勝手に)行為をわざわざ見つけ出してしまったり、ひどい時にはそのイライラが暴走して、家族にまで当たってしまったり。イライラがイライラを呼んでいくんですよね( ;∀;)


昔、平凡なサラリーマンが交通渋滞のイライラからバズーカ砲をぶっ放すまでエスカレートしていく「フォーリングダウン」という映画がありましたが、あれは結構リアルに起こりえる話なんだと思います。


けれど、自分としては「誰かにイラっとさせられた」と思っているんですけど、イラっとさせられてしまう種は、実は自分自身の中にあるんですよね・・・


その辺りの心のメカニズムに関してはまた別の機会に書こうと思いますが、イライラ連鎖を終わらせるためには、途中で「あ、私、今イライラしてる?」って気づけるといいですね。大抵はそこで冷静になれると思います。


そして、イライラしてしまうのには、疲れてるとかストレスが溜まってるとか、何かしら理由があるはずなので、いつもより自分に優しくしてあげる。その日の献立を家族じゃなく自分を優先にしてみるとか、無理せず家事を手抜きにするとか、食べたかったスイーツを買って帰るとか。


そうやって、また自分に余裕が出来てきたら人にも優しく出来るし、世界も優しく見えてくるんですよね。そして、そんな自分のポジティブなエネルギーは周りにいる人にも伝播するので、周りも何だかポジティブな気分になれるんです。


そんなポジティブなエネルギーで世界に広がっていくと、「戦争反対!」と声高に叫ぶよりも、よほど効果があるような気が、私はするんです(*^^*)